先日の定例セミナーで仏語のpenser(思う)の変遷を少し扱った。
このパンセという言い方(penser:動詞)は全く発音が同じでpanser という形もある。
penserではなくpanserの方は、包帯を巻くという全く別個な意味を持つ。
ただ語源解釈ではpenserの異形としてpanserが挙げられていて、どちらも共通の意味は、配慮するということらしい。
このpenserは思うとも想うとも綴られるが、元来は、思いと想いと重いが同じ感覚を持つ。
多くの言語で実はNSの連続体があるとSの前のNが落ちやすいことはよく知られている。
ラテン語のpensareは俗ラテン語ではpesareという別形を生じさせた。
イタリア語ではpesare / pensare
スペイン語(ポルトガル語も)pesar / pensar
フランス語では peser / penser
という見事なまでに、NSのNが抜けている。
ちなみにNが抜けている方が、重さを量るという意味で使われ、Nがついている方は、精神的な思考を示す。
名詞派生で見てみると、
思考はイタリア語ではpensiero
フランス語ではpensée となる。
Je pense, donc je suis. (デカルト)
Les Pensées (瞑想録:パスカル)
Le Penseur (考える人:ロダン)
このように派生できる。どれもNがしっかりついている。
ポルトガル語で思考はpensamento, スペイン語ではpensamientoで、これもちゃんとNを引き継いでいる。
三色すみれをパンジー(Pansy)と言うが、この花を見ると人を想うと言われることからこう呼ばれるようになった。ポルトガル語での花言葉はamor-perfeito. 完全な愛である。