馬から落ちて落馬する。と聞いて、重複表現だと言われれば日本人にはその感覚がある。
一番最初に
後ろへバックする
後で後悔
未だに未完成
言われれば一発でそうですよね!という現象はよくある。
ただ、とうもろもろこし(とう唐+もろこし唐土)だとかは、分析しないとその形が見えにくい。
西洋諸語ではどうだろうか。
melodyという単語のmelの部分も、odの部分も、ギリシア語ではそれぞれ、歌を表す。
downhill(下り坂)も、downはもともとは語源辞書を見るとoff the hillとなっていて、原義は丘からという意味。なので、down(丘から)+hill(これもまた丘)という構造で、同じような言葉が2種合成されていることになる。
ドイツ語も泥棒はDiebstahlで、Diebは英語のtheif で、stahlは英語のstealと同じ語源なので、両方共に、盗みを意味している。
宣誓という単語のEidschwurも、Eidは英語のoath、Schwurは英語のswearなので、これまた宣言を意味しているものの組み合わせとなる。
日本語も、このような組み合わせは無数にある。
河川・善良・飛躍・打撃・上昇・繁茂・眼目…….
言語の別に問わず、自然言語が辿る道として、同じものの組み合わせを選んでしまう性があるのだろう。
塩漬けキャベツはSauerkrautというが、フランス語ではchoucrouteと言う。
ドイツ語のsauerは酸っぱいという意味で、Krautは野菜、特にキャベツを示す。
ただ、この前半のsauerが、アルザス方言ではsûrとなり、シューの音に近いため、キャベツのchouと勘違いして、choucroute となった。(シュークリームのシューもchouなので、本来はキャベツの形にクリームが詰められたに由来する。)
choucroute はchou(キャベツ)+croute (ドイツ語のKraut これまたキャベツ)の、キャベツ、2個並びの意味となる。
見守るという日本語は実は3つの同語源の連なりを見せる。
み+ま+もる
み=見=これは目と同じ語源(漢字を見ればよく分かる)
ま=まつげとかまなことかにある【ま】 これは、目のこと。
津軽弁で目のことは、まなぐと言う。
もる=これは、目の古形で動詞化すると、もるになる。これまた目からの派生
こうなると、見守る(mi-ma-moru )の中には、3つのMが子音で存在し(M-Ma-Moru)、すべてのMが目を示すのだ。
世界言語の現象を分析するとき、日本語での現象が日本語の専売特許ではなく、多言語でも応用されることに驚嘆する。もっと言えば、日本語の内部現象を徹底解明すれば、世界言語で見られる最大公約数的な言語現象を捕まえられるのではなかろうか。と思っている。